水谷もりひとブログ

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新聞の名前を変えるということ

「みやざき中央新聞」はかつて「宮崎中央新聞」でした。
それが50年以上続いていました。
僕が入社するまでよくつぶれなかったものだと思います。
まるで僕の入社を待っていたみたいです。

巷では「ゴロツキ新聞」と呼ばれていました。
確かに行政を叩く記事が多かったです。
僕はそれを入社したばかりの頃、
会社にあったバックナンバーを見て知りました。

経営を引き継いてで、「みやざき中央新聞」に改名しました。
響きは同じですが、中身は180度違います。
編集方針を一新したのです。
正義の御旗を下ろし、「読んで成長する新聞」にしました。

メディアとは、マスコミとは
真実を白昼に明らかにするものかもしれません。
それゆえに自分たちが正義になり、不正を叩きます。
それもあっていいと思います。

でも僕にその姿勢はどうも似合いません。
ただそれだけです。
情報は、それを受け取る人を幸せにするものでないといけないと思っています。
僕の勝手な思い込みですが。

だから自分が感動したもの、面白いと思ったものを発信してきました。
「じゃ、お前のその感性は正しいのか」と問われたら、
わかりません。ただ僕は僕の感性を信じてきました。
そのために日々感性を磨くしかありませんでした。
今日は昨日より少しましな感性になってないといけないし、
明日は今日より少しましな感性になってないといけないと思ってきました。

そのために
良質な本と出会い、良質な情報と出会い、
心に響く情報を発信している人と出会う必要がありました。
それはこれからも変わりません。

今回の新聞の改名は、前回とは逆です。
前回は新聞の名前を
「宮崎中央新聞」から「みやざき中央新聞」にしました。
響きは同じですが中身は全く異なる新聞です。

今回は「みやざき中央新聞」から「心揺るがす日本講演新聞」にしました。
しかし中身は全く同じです。
同じ精神で、同じ編集方針を貫きます。

中身は同じですが、情報の入れ物を大きくしたのです。
Mサイズが小さくて体が入らなくなったから
Lサイズにしたようなものです。

30リットルのバケツには入る水の量に限界があるから
100リットルのバケツにしたようなものです。
中身の水の質は変わりません。

「新聞名を変えるなら購読をやめる」という人がいました。
「みやちゅうに愛着がある」「親しみがある」
それは僕もそうです。
新聞名を変えることに一番苦悩したのは僕自身でした。
30年近くこの新聞と生きてきたのですし、
この新聞に人生を賭けてきたのですから。

だからずっとぶれていました。
いろんな人から違う意見を言われるたびに、
「そうだよな」とぶれていました。
社員からいろんな意見が出て、そのたびにぶれていました。

でも、もう愛着や親しみだけでは企業は生き残れない時代です。
紙媒体の「みやざき中央新聞」では限界があると思っています。

僕は個人的に「みやざき中央新聞」が大好きで、
いつか自分がいつか引退するときに
この新聞もやめてもいいと思っていた時もありました。

でも今20代、30代の社員がいます。
彼らの未来の為に、彼らの時代と共に生きる会社にしないといけないと思っています。

今の50代、60代、70代、80代の読者の方々が
いなくなる20年後、30年後にも
生き残れる会社を今から作っておかないといけないと思ったのです。

「心揺るがす日本講演新聞」になって一番喜んでいるのは
「みやざき中央新聞」だと思います。
「竹千代」が「家康」になったようなもので。

お笑いコンビ「海砂利水魚」が「くりぃむしちゅー」になったようなものです。
「海砂利水魚」時代の上田晋也と有田哲平の2人は
「くりぃむしちゅー」と名前を変えてもその人気は変わらない。
いや、むしろ「海砂利水魚」時代より大きく今羽ばたいています。

我々の発信する情報は、
まだこの新聞を知らないもっと多くの人に届けたいのです。
もっともっと多くの人がこの情報で幸せになれると信じています。
だけど「みやざき中央新聞」のままでは届けきれないのです。

「心揺るがす日本講演新聞」に大きな可能性を僕は見つけました。
会社を大きくしたいのではないのです。
今届いていない多くの人に届けたいのです。

今はまだまだ名前を変えることに反対する読者の方は多いと思いますが、
5年後、10年後、
「心揺るがす日本講演新聞に変えてよかった」と思ってもらえる新聞にしていきます。

どうかご理解のほどよろしくお願いいたします。