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「上から目線」って何?

日本講演新聞は以前、「みやざき中央新聞」という名前の新聞でした。
令和2年から「日本講演新聞」に改名しました。

ところが、
「日本講演新聞という名前は上から目線だと感じる」と怒って新聞をやめた人が
数人いらっしゃいます。
同じ理由でやめた人は他にもいるかもしれませんが・・・。

この1年、
「上から目線と感じる」という、
この感覚が分からなくて、ずっと思い悩んできました。


「日本講演新聞」という名前に対して、
なぜ「気にくわない」という気持ちになるのか、と。


最近ちょっとだけ分かってきました。正しいかどうか分かりませんが・・・。

たとえば、花瓶にいけた花を見て
「きれいね」と口に出すか出さないかは別として、そう感じる人がいます。

それは「きれい」と感じる心がその人にあるからだと聞いたことがあります。

一方、「あ、花がいけてあるな」くらいしか感じない人もいます。
さらに花がいけてあっても、それに気付かない人もいます。
「花? ありましたっけ?」みたいな。
自分の感性の中に「花」がない人です。

自分の中にあるものしか引き寄せないのです。

僕の師匠の一人ピーター先生は、人の話を聞いて
よく「今の言葉は上から目線です」と指摘します。
たとえば、
「今日はピーター先生の講座に初めて参加します。
 今日の講座から一つでも学んで持って帰りたいと思います」
とあいさつしようものなら、「それは上から目線です」と言われます。

「一つでも」がいけないのです。
心の中でそう思って参加するのはいいけど、
講師の前で「一つでも」なんて言うのはある意味失礼です。

この場合、「たくさん学んで帰ります」と言うべきなのです。

教える立場の、偉い人なので、ペーター先生はある意味、上から目線で話をします。
僕はピーター先生が大好きだし、
その「上から目線」が先生の面白いところなので気になりません。

ただ、ピーター先生ご自身は、
自分より若い人が説教調でスピーチすると機嫌が悪いです。

要は「上から目線」に敏感な人は、ある意味、「上から目線」の人なのです。


日本講演新聞という名前を「上から目線」と感じる人は
「上から目線」の生き方をしている人かもしれません。

「みやざき」というブランドだったから応援してあげたのに・・・という感覚です。

「片田舎の新聞が一生懸命ハングリー精神で頑張っているから応援していたのに」
という人かなぁって思いました。
それが急に「日本講演新聞」と偉そうに名乗りやがって・・・みたいな。
日本経済新聞と同等か!ってみたいな。

ただ・・

田舎の青年というのは、「いつか都で一旗揚げたい」という夢を持つものです。
僕らはそんな夢を抱いて、日本講演新聞にしました。

まだまだ全国紙なんてものではありません。
もちろん、心の中はいつまでも「心温まるいい話を伝えたい」です。

もう「こんな私たちを応援してください」とは言いません。

日本講演新聞と共に・・・
つまり自分の人生の傍らにこの新聞を置いておこうという人たちと共にやっていきます。