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あれから30年(中編)

親会社は外山建設という、土木会社でした。
面接をしてもらった後、社長の外山清子さんに宮崎中央新聞の事務所に連れていかれました。
だだっ広い薄汚い倉庫の一室にそれはありました。

1面を担当する人が1人。
2面を担当する人が1人。
2人の手書きの原稿を写植で打つ人が1人の3人の事務所でした。

1面を担当していたの外山社長の娘の旦那さんでした。たぶん当時の僕と同じ30代。
本当なら土木現場で働いていたのですが、
少し前に1面担当の土屋さんが、延岡市の夕刊ポケットに転職したため、
急きょ、彼が「外山建設新聞部」の助っ人に入ったのです。
そして求人を出していたのです。



30年前、ハローワークの求人で宮崎中央新聞と出会わなかったら今がありません。
不思議なのは、大赤字で、当時の読者数が500人くらいなのに、
なぜ求人をしていたのか、ということです。

普通、廃刊にしますよね。

収入は500部×月1000円=50万。
3人の人件費と印刷代と郵送代。
採算が取れません。
外山建設からの資金投入で何とか存続していました。

外山慶秋(故人)先代社長の「新聞は続けてくれ」という遺言があったので、
奥様の清子さんも、夫の亡き後も続けていたのです。

しかし、時は1991年~1992年にかけて不況の時代でした。
外山建設本体の経営が厳しくなり、
「やめるか、切り離すか」ということになり、
外山清子社長は「あんたがやりたければ譲る」ということになりました。

当時、僕は何をしていたのか・・・続く