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あれから30年(後編)

時は1991年~1992年にかけて不況の時代。
親会社・外山建設本体の経営が厳しくなり、
外山清子社長は宮崎中央新聞を切り離すことにしました。

外山社長にスナックに呼び出され、
「あんたがやりたければ譲る」と言われました。

思いがけない申し出に二つ返事で引き受けました。


当時、僕は何をしていたのか、くすぶっていました。

80年代は東京で「国際文化新聞」というフリーペーパーの編集長をしていて、
著名人をインタビューしたり、講演を取材したりしていたので
そこそこ「意識高い系」でした。

その新聞を後輩に譲って、妻と生後3か月の長女と3人で
故郷の宮崎に戻ってきたのです。

しかし、就きたい仕事がない。

僕はガソリンスタンドでアルバイトをしながら、
東京で培った著名人との交流を宮崎でもやってみようと思い、
宮崎大学と宮崎産業大学の先生たちを開拓して、10人くらいの人間関係をつくり、
「教育問題懇談会」を月一回、開催していました。

そのうち次女も生まれ、その子が2歳になった1991年
風邪をこじらせて肺炎になり、入院。

その連絡を受け、バイト先から病院に駆け付けました。
親父もおふくろも来ていました。

そのとき、「俺は何をしているんだろう」と思ったのです。
志はあるけど、金がない。
ガソリンスタンドは時給590円。一日8時間働いても5000円にもならない。

何とも自分が情けなくなり、真面目に働こうと思って
その日の夕方、ハローワークに行きました。
そして「宮崎中央新聞記者募集」の求人票と出会ったのでした。
もちろん食べるため、ライスワークです。

そして1年後に外山社長からこの新聞を引き継ぎ、独立して初めて、
この新聞を「読んで面白いと言ってもらえる新聞にしよう」と思ったのです。



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