いい具合に嫌われた
朝日、読売、毎日など、大手新聞のOBたちの会がある。そこが定期的に同人誌を発行している。
元々新聞記者なのであるから、書くことはお手のもの。
毎回、会員たちは思い思いに原稿を書いてくる。
原稿を集めるのに事務局は何の苦労もない。
昨年、元朝日新聞社会部記者の方と出会いがあった。
何度か手紙のやり取りをした。
御年90歳なので、もっぱら手紙だ。メールではない。
最初は鋭い質問が10項目もあった。
・日本講演新聞の読者の何割くらいが一般紙を読んでいるのか
・なぜ政治経済の話題がないのか
・講演者を掲載するにあたりどのような基準があるのか。
などなど。
「3か月くらい猶予を与えるので、返信はそれからもいい」と。
ま、人生の大先輩だし、しかもあの大手新聞なので、そりゃプライドは高いだろう。
面倒くさくてしばらく返事をしてなかったら、
本当に3か月経った頃、手紙が来た。
「あの返事はどうなっている?」と。
慌てて返した。
大分市で講演したとき、その方はコロナ禍にもかかわず、やってきた。
そういえば、別府在住の方だった。
「矍鑠(かくしゃく)」とされていた。
社説にも書いたあの方だ。
そう、講演の最後の質疑応答で「君はコロナの話を一切しなかったが、どう思っているのか」と質問してきた。
数日後、その方から手紙が来た。
自分たちの同人誌に日本講演新聞のことを書くというのだ。
その原稿が入っていた。
素晴らしい内容だった。
日本講演新聞のことを高く評価してくれていた。
「その原稿を読んで修正するところがあったらしてくれ」というわけである。
一か所だけ修正させてもらった。
それから数日後、その方から怒りの手紙が来た。
「あの原稿を同人誌の事務局に送ったら、ボツになった」というのである。
つまり、「何?1万部? 大したことない」とか「心を揺るがす?宗教臭い」とか
いろいろ言ってきて掲載は不採用になったということで、
その方は大層立腹していた。
「なぜボツにしたのか。私にとって納得いきませんが、やむを得ず涙をのみました」と綴られていた。
そのお気持ちに頭が下がった。有難くて目頭が熱くなった。
最後に「ボツになったとはいえ、貴紙の価値が下がるようなことがありません。
私は貴紙編集を評価し、今後の繁栄を祈っています」と結ばれていた。
またまた涙腺が緩んだ。
これでいいのだ。
大手新聞の記者たちから評価されるような新聞ではない。
そう易々とこの新聞の価値が分かってたまるか。
大手新聞の記者たちから酷評されてなんぼの新聞なのだ。
住んでいる世界が違う。
でも、あの方みたいな人もいるんだと思った。
90歳、それでも講演会に足を運ぶ、さすがだ。
「矍鑠」、久しぶりにこの言葉が似合う日本人を見た。
90歳になっても講演会に足を運ぶ生き方がしたいと思った。