毒論⑥
「可愛い子には旅をさせよ」ということわざは、旅行に行くと見聞が広がり、いい経験ができるから
子どもには旅をさせたほうがいいという意味ではないことはご承知の通り。
国内外のあちこちを観てまわろうと言っているのではない。
親元に置いておくと、つい甘やかし、苦労することもない。それでは何の成長もない。
だから親元から離して、世の中の辛さや苦しみを経験させたほうがよいということだ。
嫌なことを経験すればするほど人間の精神は鍛えられる。
辛いことに挑戦するからこそ成長がある。
逆境を乗り越えるほど人生の本質をつかむことができるようになる。
今はそういうことをない人生が幸せと思っている。
なかったら自ら苦悩をつくって、その中に突入したほうが
ずっとずっといい人生になっていくのだ。
それで三つ目の「文明の毒」ということであるが、
人間が動物と決定的に違うのは「文明をつくってきた」ということだろう。
その文明は人間をより豊かにし、より贅沢にし、より安心安全なものにしてきた。
その文明そのものが毒だと執行草舟さんは言う。
考えてみれば、人間を豊かにし、人間を贅沢にし、人間をより安心安全な生活にする。
それそのものがもう毒なのである。
身体にも精神にも悪いことばかり。
ヨーロッパ文明の毒について詳しく書かれてあるのがトーマス・マンの『魔の山』
トーマス・マンは「健康であることはよいことではない。健康であるということは
つまりは動物だということなのだ。人間的とは病気であるということだ」と言っている。
う~ん。よくわからない。
ヨーロッパの歴史は戦いの歴史だったといってもいいだろう。
社会の不条理、理不尽さに声をあげ、戦った。
それが人間であることの証しである。
その不条理な社会、理不尽な状況の中でどう自分の命を燃焼させていくか。
これが執行草舟さんの言う「毒を食らえ」ということらしい。
「不合理の中に積極的に突入していく」
「不合理を嫌ってはいけない」のである。
「世の中の不合理を嫌ったら、一生追いかけられて逃げ回って暮らさなければならない」
自ら積極的に毒を食らったほうがいい、と。
これが希望の思想なのである。
会社なんか、理不尽さがあればあるほど「いい会社に入った」と思ったほうがいい。
昔はそんな会社ばかりだった。その時代に日本は成長したことは間違いない。
実はその不合理、不条理の中にも喜びがあり、美しさがあると執行さんは言う。
それを見出せるところまで行かなければダメです、と。
積極的に毒を食らうとそれを消化吸収できる。
つまりどんなものも感謝して、笑顔を食べると消化も吸収もいいのだ。
不合理だからといって、まずそうに食べたら腹を壊すのだ。
それは不合理を嫌がっているからだ。
不合理、不条理を受け容れた人間の精神だけが成長し、強化される。