水谷もりひとブログ

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宗教は必要ですか?

テレビを全く見ないので、
安倍元総理の銃撃事件後の、それにまつわる報道が
どんな話題で沸騰しているのか分からないのだが、

ネットの世界ではT教会のことばかり。
ネットを立ち上げると、
まず最初にネットニュースなるものが出て来て、
一瞬で目を奪われてしまう。
ついクリックしたくなるような見事な誘い文句だ。

僕も負ける。ついクリックする。
「ひろゆき」のコメントなんてどうでもいいし、
どの政治家が過去にT教会と関係があったのかなんてどうでもいいのに。

昔、山本七平という偉大な文芸評論家が「日本教」という本を出版して
それが一世を風靡したことがあった。80年代だった。
社会の道徳とか、人生の規範、
たとえば盗みはいけないとか、人の女を取ってはいけないとか、
人を騙して利益を得てはいけないなどの行為は、欧米では宗教が戒めている。

日本人は確固たる宗教を持っていないのに、
日本人にはこの倫理観・道徳観がある。
これが欧米人には不思議だった。
山本七平はそれを「いやいや、日本には日本教という宗教があるんだ」と言ったのだ。

お天道様の思想から武士道まで、日本人のDNAに組み込まれている。
何となくわかる世界だ。「そんな悪いことはしてはいけない」ということが。

誤解を恐れずに言えば、日本列島に住む8割がたの日本人は
そういう価値観を共有していた。
だから特定の宗教などなくても、みんな道徳的にも倫理的にも
そこそこ正しく生活してきた。
財布を拾ったら交番に届けた。

しかし、極端な日本精神高揚の挫折を味わった敗戦で、
世間でよく言われているように
人々の心はすさんだ。
「貧しさ」とGHQ統治が社会から日本教的土壌を奪った。

だから心がすさんだ社会に生きづらさを感じた心の繊細な人たちや、
死ぬにも死ねない責任感のあるピュアな人たちが
どこかに救いを求め始めた。
そういう時、戦後の新しい時代の波に乗って登場し
希望の光のように見えたのが新興宗教だった。

心の繊細な、ピュアな人たちにとって砂漠で見つけた井戸みたいなものだった。


そうじゃない人たちは理性で生きられた。
人の悲しみなんて分からなくても仕方がない。競争社会なんだから。
学校でもそう教えられたし。

人は宗教がなくても生きていける人と
宗教が必要な人がいるんだ。
本当は日本教で十分だったんだ。

そんな日本人の精神性を語りもせず、どうでもいいT教会をリトマス紙にして
政治家を一人一人踏み絵させているマスコミの報道、
あれは昔から変わらないね。