水谷もりひとブログ

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月刊『致知』10月号から

駐日イギリス公使館がつくられたのは1859年です。
明治維新(1868年)の9年前です。
ということは幕末の日本にはもうすでに
徳川幕府公認の、今でいう大使館がつくられていたわけです。

フランシス・ブリンクリーが駐日イギリス公使館に武官補として着任したのは
1867年、明治維新の前年でした。まだ江戸時代です。
来日したばかりのブリンクリーは、偶然、武士同士の果し合いに遭遇しました。
欧米にも「決闘」という果し合いがありましたね。
何かいざこざが生じたとき、「決闘だぁ!」と、
殺し合いで決着をつけようという、あれです。

江戸時代の果し合いも、いわば「決闘」です。
江戸時代の武士には「自分のトラブルは自分自身で解決する」ことが
認められていたそうです。
メンツを重んじた武士の世界では些細なことでも殺し合いの喧嘩に発展したのです。

で、ブリンクリーが見た果し合いですが、
死闘の末に勝負がつきます。
そして勝者の武士が敗者の遺体に自分の羽織をかけ、ひざまずいて合掌したそうです。
ブリンクリーは、日本人が極限状態にあっても気高い精神性と
礼儀を重んじる心があることに感銘を受けたという手記が残っているそうです。
(月刊『致知』10月号参照)

僕なんかは、そんなに気高い精神性と礼儀を重んじる心があるのなら
「何も殺し合いまでしなくても」と思います。
歴史の事象を今の価値観でジャッジしてはいけないと言いますけど・・・・

命はメンツで賭けるものではなく、
大切な人を守るために賭けてほしい。そんな武士道であってほしいです。


「命が尊い」なんて戦後、最近の価値観なのでしょうね。