いつ「いつか」が来てもいいように
新聞の発行を長年やってきたわけですが、同時に「読者が増えた、減った」で一喜一憂する日々を送ってきました。
それは私たちの仕事だけでなく、仕事をする人みんなそうだと思います。
それぞれにお客様がいますから。
「お客様」というのは永遠にお客様であり続けることはありません。
いつかお客様でなくなる日が来ます。
人間に命の寿命があるのと同じです。
人はみんな永遠に生きられないことを知っています。
でも明日死ぬとは思っていません。
ただ、いつか死ぬと思っているだけです。
その「いつか」が今日の人もいれば、明日の人もいます。
でも自分は「今日や明日ではない」と根拠のない自信で生きています。
そういう人でも亡くなることがあります。
会社やお店にとってのお客様にもその「いつか」は来ます。
それが今日だったり明日だったりするだけのことです。
あれほど仲良くしていたお客様がやめていかれるのは悲しいです。
ある意味、ショックでもあります。
でも、それだって、その「いつか」が昨日だったり、今日だっただけのこと。
共に仕事をする仲間だって、ずっとずっと仕事をし続けるわけではありません。
誰がいつ「退職届」を持ってくるのか分かりませんが、
いつかその日は必ず来ます。
今日かもしれないし、明日かもしれません。
執行草舟さんから教えてもらった武士道は、
その「いつか」が今日来ても、明日来ても、受け止める覚悟をもって
日々を生きるという生き方です。
そこに悲しみも悔しさもないのです。
いや、「ない」のではなく、見せないのでしょう。
いつその「いつか」が来ても受け止める覚悟をしているからです。
この社会は人の生死によって支えられています。
亡くなる命もあれば生まれてくる命もあります。
今は少子化なので亡くなる命が生まれてくる命より多いです。
でも、多い少ないより、今日生まれてくる命に歓喜の声を上げるように、
今日も日本講演新聞の読者が生まれたことに感謝し、そして喜びたいです。
今、目の前にいる仲間に感謝し、共に働けることを喜び合いたいです。
今年一年、この仕事ができたことに感謝し、仲間と喜び合いたいです。
だって今日という日はもう二度とめぐってこない今日なのですから。
そして明日という日は間違いなくやってくるのですから。
そこに希望を見出せるか、ため息をつくのか、それは自分の心次第です。
思い通りにならないことが多い中で、
自分で決められるただ一つのことが、明日に希望を持つことです。
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