水谷もりひとブログ

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ジジイではなく、おじいちゃんになろう

恵美さん(52)は3歳くらいの時から、おじいちゃんと一緒に
「家庭倫理の会」という、朝5時からの朝活勉強会に参加していた。
毎日である。休みはない。1年365日。

4時台だから冬なんか真っ暗。しかも今みたいに車はなかった。
おじいちゃんがハンドルを握る自転車の荷台に恵美ちゃんは乗っていた。

「なんで行くの?」と聞かれても困る。
恵美ちゃんは行くのが当たり前と思っていた。行く理由はただそれだけ。

「家庭倫理の会」は公民館を借りていたので、
毎朝掃除の時間があった。
恵美ちゃんは拭き掃除の担当だった。
冬はバケツの水が冷たい。冷たい水に手を突っ込めない。

するとおじいちゃんがやってきて
恵美ちゃんの雑巾を取って、洗い、絞って恵美ちゃんに渡した。
おじいちゃんの冷たそうな真っ赤な手を見て、
恵美ちゃんも小さな手を水に入れて、雑巾を洗い、絞った。

すぐに手が真っ赤になった。
掃除が終わると、おじいちゃんがストーブのところに連れて行って、
恵美ちゃんの手をかざしてくれた。
そしておじいちゃんはいつも「ありがとう」と言った。
その時のストーブの温かさも、おじいちゃんの感謝の言葉も、忘れらない。

恵美ちゃんが少し大きくなるとおじいちゃんは恵美ちゃんと五つの約束をした。
まず、返事は「はい」。
 呼ばれたら「何?」ではない。いつだって「はい」
 家族に呼ばれても「はい」

二つ目は、挨拶は自分から。
 「おはようございます」も「こんにちは」も、言われて返すのではない。
  こっちから先にする。

三つ目は整理整頓、後片付け。
 ただこれができていなくても怒られたことがない。
 靴を揃えずに家に上がるとおじいちゃんが黙って揃えてくれた。
 どんなことでもおじいちゃんは「しなさい」と命令しない。
 「また散らかして」と怒らない。黙ってする。
 やがて恵美ちゃんも自然と整理整頓、後片付けが習慣になった。

四つ目は、お手伝いは喜んでする。
 頼まれたらどんなことでも嫌な顔をしない。
 これは今も恵美ちゃんの子どもたちが受け継いでいる。

最後は、夕食はお父さんと一緒にする。
 恵美さんのお父さんが仕事で遅くなった時は、
 おじいちゃんもおばあちゃんも子どもたちもみんな待つ。
 夜の8時、9時になった時もあった。
 そういう時、お父さんは必ず言った、「ごめんね。ありがとう」
 夕食の時が唯一、家族が会話できる場だった。
 農家だったので、朝食はみんなバラバラだったのだ。
 お父さんが帰ってくると、お風呂から出てくるのを待って、みんなで食事をした。
 子供たちはお父さんにその日のことを報告するのが楽しみだった。


恵美ちゃんが小さい頃、おもちゃ屋さんで「ほしい、ほしい」と泣き叫んだことがあった。お母さんは「ダメ、ダメ、泣いてもダメよ」と言った。
その話を後で聞いたおじいちゃんは恵美ちゃんのお母さんに言った。
「ダメと言うんじゃなくて、どうしてこれが欲しいのか、その理由を聞いてあげなさい」と。そして「今どうしても必要なのかも聞いてあげなさい」

小さい頃、コップに水をこぼしたことがある。
お母さんから怒られた。しかし、おじいちゃんは怒らない。
「どうしてこぼしたのかな。ここに置いていたからじゃないか」など、
こぼれないようにするのはどうしたらいいのか、恵美ちゃんに考えさせた。

小学生の時、恵美ちゃんは河童を見た。
それを周りの大人に話しても誰も信じなかった。
しかし、おじいちゃんだけは信じた。
「へぇ、そうか。で、どんな河童だった?」とか
「今度また見たらおじいちゃんに絶対教えてね」と。



悲しい話ではなかったのに、
なぜか、恵美ちゃんの話を聞きながら
涙がぽろぽろ出て、仕方がなかった。

こんなおじいちゃんになりたいですね。