くるみの談話室 3111号(2026/03/23)
月の沙漠に足を運んだ日
会長 松田くるみ
2月15日、編集長の水谷が千葉県御宿(おんじゅく)町で講演をしてきました。朝礼で「御宿町の海岸は童謡『月の沙漠』のモデルとなったところだった」という報告を聞いて心が躍りました。そこは2月8日に100歳で亡くなった母が最後に行きたがっていたところだったからです。コロナ禍の2021年、96歳の母を岐阜の施設から宮崎に連れてきて一緒に暮らすことにしました。
ある日、「どこか行きたいとこある?」と聞くと、「月の沙漠の海岸」と言いました。その時は、その海岸がどこにあるのか知らなかったのですが、確かに母は昔から『月の沙漠』という歌が大好きで、家事の合間に口ずさむのは決まってこの歌でした。
『月の沙漠』は大正12年(1923年)に、加藤まさをが作詞、佐々木すぐるが作曲した童謡です。加藤まさをは若い頃、御宿町で結核療養をしていたので、その歌詞のモデルが御宿海岸だということを、編集長の報告を聞いて初めて知ったのです。
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先月、私も御宿海岸に足を運びました。町が運営する「月の沙漠記念館」で資料を読みながらとても驚きました。この歌が作られた大正12年は関東大震災が起きた年だったからです。
マグニチュード7.9の大地震で10万棟を超える家屋が倒壊。死者、行方不明者は10万5000人にも及びました。「これからどうやって生きていこうか」と、途方に暮れていた被災者の心に、この歌が響いたそうです。歌詞の一部です。
曠(ひろ)い沙漠をひとすじに/二人はどこへゆくのでしょう
朧(おぼろ)にけぶる月の夜を/対のらくだはとぼとぼと
砂丘をこえてゆきました/黙ってこえてゆきました
母は関東大震災が起きた2年後に生まれ、戦争中に青春時代を過ごし、戦後は見合いで結婚した父と一緒に廃品回収で生計を立てていました。
私の弟は知的な障害を持って生まれました。4歳頃まで歩けなかった弟を華奢(きゃしゃ)な体で背負って家事をしていた母の姿を思い出します。その時もきっと『月の沙漠』を口ずさんでいたのでしょう。御宿海岸でその歌を口ずさんでいると、当時の母の気持ちがひたひたと感じられました。
父が亡くなった後、母の一人暮らしは40年ほど続き、日課にしていた写経は1000巻に達しました。100歳を超えても自分で食事をしていましたが、食べられなくなってから8日後に息を引き取りました。
全国から集まってきた子や孫、ひ孫たち15人で、火葬に向かう車に乗った母に万歳三唱をして見送りました。こうして母の長かった人生の旅は終わりました。
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