くるみの談話室 2404号(2011/03/14)
ご冥福とお見舞いを申し上げます
本紙代表 松田くるみ
思いもよらない大地震と津波、そして原発爆発の災害で、一瞬にして日本中が大パニックになっています。甚大な被害があった宮城や福島、岩手にも本紙の読者さんがたくさんいらっしゃるので安否の電話を入れてみるのるのですが、確認ができませんでした。どうしていいか分からず、本当に胸が痛みました。予断を許さない状況はまだまだ続くと思います。亡くなった方のご冥福を祈ると共に、被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
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私の住んでいる宮崎市の赤江地区は海が近いので、11日の夕方に津波の避難勧告が発令されました。津波到着時刻が17時20分だったので、とりあえず私たちはバックアップした仕事関係のデータを持って、近くのマンションの上階の階段の踊り場に避難しました。私たち家族以外に、もう一組の親子が来ていました。
避難場所になっている中学校にも3、4組の家族しか来ておらず、震源地が遠かったせいもあって、宮崎の人たちはそれほど危機意識を持っていないようにも思えました。
実際にやってきた津波の高さは1メートルちょっとで被害はありませんでしたが、天災は常に人智を超えるものです。今回はたまたま東北地方に大きな被害が出ましたが、いつどこで起きてもおかしくないのが自然災害です。日頃の危機意識が重要だと思い知らされました。
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翌12日~13日にかけて、北九州で開催された「九州志帥塾」という勉強会に水谷と一緒に参加しました。今回は急きょ、中止が考えられたようですが、参加できる方だけでいいからやろうと決まりました。こんな状況の中でも全国各地から100人を超える参加者がいて、驚きました。
しかし、講師としてお見えになるはずだった作家の神渡良平先生とイエローハット元相談役の鍵山秀三郎さんは飛行機の関係で、「遅れる」という連絡が入り、講演時間に間に合いませんでした。
急きょ、スタッフとして来られていた兵庫県の㈱新宮(しんぐう)運送の木南(きみなみ)社長と、宮崎から初参加の水谷が開始30分前に講師の代役を仰せつかりました。
たまたま3月14日号がまだ仕上がっておらず、夜ホテルで仕事をしようと思って持ってきていたノートパソコンに、いつも講演会で使っているデータが入っていたので、それをプロジェクターにつなげて何とか代役を果たすことができ、本人もホッとしていました。
その夜、お二人の先生は10時間以上もかけて東京から何とか北九州まで駆けつけられました。「行く」と言ったら行く、そのお二人の強い意志に頭が下がりました。
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2404号