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くるみの談話室 2553号(2014/05/12)
息子の台湾旅行~後編

本紙代表 松田くるみ
 高校3年の息子が、クロフネカンパニーの中村文昭さんと博多の歴女こと白駒妃登美さんが主催する「台湾ツアー」に参加するため、1人宮崎を発ったことを4月21日号で紹介しましたが、今回はその後編です。何とか無事に「台湾ツアー」の集合場所にたどり着きました。以下、息子のレポートです。

◎          ◎


 このツアーには約50人の人が日本全国から集まっていました。7日の夜はホテルで出発式でした。最後に、僕が高校生ということで、文昭さんにステージに呼ばれ、「挨拶をしろ」と言われました。突然言われても何を言っていいか分からず断りたいと思いましたが、「頼まれ事は試され事」という文昭さんの言葉が頭に浮かんできて、口が勝手にしゃべりだしました。

 食事が終わるとみんなで片付けを始めました。ホテルの人が「しなくていいですよ」と言われましたが、あっという間に片付けてしまい、ホテルの人が感動して、僕たちと仲良くなりました。

 2日目は、六士(ろくし)先生のお墓参りでした。「六士先生」とは、台湾に日本の文化を伝えた6人の日本人教師です。日本の台湾統治に抵抗する抗日ゲリラがいて、現地の人が危ないので居を移すように勧めたのに、6人の先生たちは逃げることなく教壇に立ち続け、結局殺されたそうです。

 お墓の近くに慰霊碑がありました。何回も壊されたのに、壊されるたびに現地の人たちが造り直してくれたそうです。

 その慰霊碑をずっと掃除してきた80歳近いおじいさんの話を聞くことができました。通訳の人が台湾語で話し掛けると、「私は日本語で話したい」と言い、日本語で話してくれました。

 次に、八田與一(はった・よいち)氏が設計した烏山頭(うさんとう)ダムに行きました。このダムは現地の農業に多大な貢献をしたそうです。ダムの横に殉工碑がありました。ダム建設には必ず死者が出るそうです。その殉工碑にも134名の名前が刻まれてましたが、日本人と台湾人の名前が一緒に刻まれていました。つまり日本人と台湾人の間には差別がなかったということです。

 八田さんはたくさんの人々に慕われていて、現地の人から「あなたの銅像を作らせてください」と頼まれたそうです。八田さんは「私は見下(みおろ)すのは好きではない」と言い、座った姿勢の珍しい銅像を造り、ダムの隣に建てられました。

 その日の夜、「多謝(トーチェ)3・11(震災の時ありがとう)」と「加油(ジャーヨウ)台湾(頑張れ台湾)」と書かれた幟(のぼり)を掲げて繁華街を歩きました。すぐに人だかりができて、写真撮影が殺到し、翌日の新聞にも載りました。

 日本に帰ってきて、たくさんの友だちに台湾のことを話しました。しかし、みんな「台湾? はぁ?」というリアクションでした。正直、ショックでした…。向こうの人はこんなにも「日本ありがとう」「日本大好き!!」と思ってくれているのに・・・。

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 熱い大人たちと過ごした台湾ツアーは息子の人生を揺るがす大きな刺激となりました。将来、やりたいことが見つかったみたいです。
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