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くるみの談話室 2645号(2016/04/25)
25周年を超えて

本紙代表 松田くるみ
 4月23日、みやざき中央新聞の「25周年ありがとう講演会」が無事終了しました。

 2011年6月に開催した「20周年ありがとう講演会」は、嵐の中の開催でした。

 それで、今年は台風の来ない4月を敢えて選んだのですが、突然の熊本地震。準備が順調に進んでいただけに動揺しました。こんな時期に県外からお客様が来てくれるかどうか、とても心配しました。

 そのとき、私の心の拠り所になったのは、以前社説で紹介した「ありがとうカウンター」で愛と勇気を届けている内田達雄さんの言葉でした。それは、「何かあったらありがとう。何もなくてもありがとう。何があってもありがとう」という言葉です。私は三つ目の「何があってもありがとう」を言い続けました。

 結果的に、高速道路や新幹線で来る予定だった約50人の人たちがやむを得ずのキャンセルとなりましたが、直前に宮崎県内の人たちが入ってきて、約600人、ほぼ満席で盛況のうちに終えることができました。

 当日は、会場の佐土原総合文化センター(通称:くじら館)を商工会青年部が盛り上げてくれました。早朝に20人くらいの人たちが、真っ新なたくさんの「くじらのぼり」を揚げてくれたのです。これには県外からのお客様も大喜びでした。

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 講演会では「博多の歴女」こと白駒妃登美さんが、「日本人の遺伝子をオンにするには、恩を感じるセンサーを育むこと」という話が私の心に残りました。

 それから、元リッツカールトンホテルの高野登さんのお話の中では、「諸国客衆繁盛」という言葉が印象的でした。これは個人の願望の「商売繁盛」とは違い、自分に関わる全ての人たちの幸せと繁栄を願うという意味があります。

 夜の懇親会も大盛り上がりでした。200名を超える参加者が、当日初めて会ったにもかかわらず、友だちのように仲良く歓談していました。  

 さて、地震で家が半壊した熊本市の明石祥子さんは、参加が絶望的だったのですが、「こんなときだからこそ行きます」と、前日に参加を決めました。突然だったのでホテルは私の部屋をシェアすることにしました。

 夜、福島市の桐原恵美さんが私の部屋にやってきて、おしゃべりをしたのですが、偶然、東日本大震災の被災者だった桐原さんと、今回の地震の被災者になった明石さんが同じ部屋で語り合ったのです。とても深い話になっていきました。

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 今回のイベントを通して、改めて「みやちゅうは日本になくてはならない新聞になった」と痛感しました。そういう新聞になったのは間違いなく読者さんお一人お一人の熱い想いのおかげです。本当に皆さま、ありがとうございます。

 そして、お花やメッセージを送ってくださった皆さま、ありがとうございました。
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