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くるみの談話室 2648+号(2016/05/23)
スタンド・バイ・ユー

本紙代表 松田くるみ
 熊本地震で被災されました皆様にお見舞い申し上げます。今もたくさんの人が不自由な生活を送っていらっしゃることを思うと胸が痛みます。

 去る5月のゴールデンウィークに、岐阜の実家に帰省しました。そのとき、本巣市の「地震断層観察館」を見学する機会がありました。故郷にこのような記念館があったなんて知りませんでした。

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 今から125年前の10月28日午前6時37分、東海地方をマグニチュード8、震度7の地震が襲いました。このときの揺れは、北は東北の仙台から南は九州南端まで届いたそうです。死者7,273人、負傷者17,157人。後に「濃尾地震」と名付けらた地震です。

 そのときの地震で本巣市の根尾水鳥(ねおみどり)地区では地割れが起きて、高さが6~9㍍の断層ができました。今では国の特別天然記念物に指定されています。

 私の生まれた北方町内の家屋は一軒残らず倒壊したそうです。岐阜市内の岐阜城下は火災で消失し、お隣の愛知県でも名古屋城の石垣や壁、屋根なども崩れ落ちて、今の熊本城のような写真が残されていました。 

 当時は被災孤児も多く、このとき、後に「孤児の父」と呼ばれる石井十次が、岡山孤児院に最初は15名を収容。だんだんと孤児の数が増えるに従い、名古屋に新たな孤児院を設立しました。宮崎の偉人が岐阜の震災復興のために活躍していたことを知り、誇らしく思いました。

 このときは早急の土木工事で大規模な堤防も2年ほどで元通りになったと書かれていました。

 関東大地震はこの濃尾地震から31年後に起きます。そのとき死者・行方不明者は14万人。濃尾地震の惨状を思い起こした岐阜県は、どこよりも早く救援に向かい、県民も濃尾地震のときの恩に報いようと多額の義援金を送ったそうです。

 その地震断層観察館の隣には「マグニチュード8.0」という名前の喫茶店があり、大なまずの看板が迎えてくれます。

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 5年前の東北大地震。12年前の新潟中越地震。13年前の宮城県北部地震。15年前は瀬戸内・芸予(げいよ)地震。21年前には阪神淡路大震災が起きています。「備えよ、常に」ですね。

 翌日、ラジオを聞いていたら、熊本のリスナーからのお便りが流れてきました。「近所の人が被災している。私は被害に遭わなかった。申し訳ない気持ちです」と。

 パーソナリティの女性は「『いつも思っていますよ』という気持ちだけでも大丈夫。誰かが誰かのためにいつもスタンバイしていることが大事」と答えていました。

 私たちも、何か力になりたいと思って、熊本の被災地周辺の読者さんお一人おひとりに電話をしました。その中のお一人が「今は物資より話を聞いてもらえただけで嬉しい」と話されていました。私たちもスタンバイしています。
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