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くるみの談話室 2360号(2010/04/05)
神も生きてるときは人間だった

本紙代表 松田くるみ
 先週末、高千穂ツアーに参加し、神社めぐりをしたのですが、天岩戸神社では予め申し込みをしていたので神官の方から説明を受けることができました。高千穂は「神話のふるさと」と言われていて、私もある程度のことは知っていましたが、今回聞いた話がとても心に残りました。

◎          ◎


 天岩戸神社は天照大神を祀っている神社です。天照大神は、弟須佐之男命の乱暴な行為を嘆いて洞窟にお隠れになったと言われています。拝殿の裏を流れる岩戸川の断崖の中腹にある木立に、半分隠れるようにその洞窟が見えます。そこは神聖な場所とされていて、撮影禁止になっています。言われないと気づかない場所なのでほとんどの観光客は素通りしているのではないかと思います。

 さて、日本の天皇家を遡ると、最初の天皇である神武天皇に行き着きます。神武天皇は天照大神の子孫です。その神武天皇が何ゆえに「神」として祀られているのか、という話を聞きました。

 神官の話によると、神武天皇は日本に稲作をもたらした方だというのです。お米という作物はその年によって豊作、不作はあるとしても、毎年実りをもたらしてくれる貴重な食べ物で、以来、日本人の主食となりました。後世の人は、この稲作をもたらした人を限りなく神に近い人として、祀るようになったというわけです。

 日本には自然を「神」として拝む信仰がありますが、立派な功績を残した人も亡くなった後、「神」として祀ることがあります。徳川家康は日光東照宮で、菅原道真は天満宮で「神」として祀られています。

  稲作は誰が伝えたかというのは諸説あるそうですが、「神」も生きてるときは人間だったという話に妙に納得しました。

 そして、最後に「毎年豊作をもたらしてくれるようにお祈りするのが神社のお役目で、その祭司の頂点が天皇です」というお話を聞いて、稲作と神社と皇室の関係を改めて認識しました。

 西都市の西都原考古学博物館の入り口から展示場に向かう通路に25メートルもの長い手すりがあります。そこには日本の歴史が10年を1センチとして刻まれています。一番長いのが1万年以上続いた縄文時代で、その次が千年以上続いた弥生時代です。

 延々と続いた縄文時代は狩猟採集の食生活でした。その時代に稲作をもたらし歴史を変えたのですから、改めて稲作を伝えた人の功績はすごいと思いました。
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