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くるみの談話室 2713号(2017/10/02)
尺取り虫の一回分

本紙代表 松田くるみ
 子どもの頃、私は歴史を面白いと思ったことはありませんでした。年号と出来事をただ覚えていただけだったからだと思います。その時代に生きる人々の暮らしにまで思いを馳せることはありませんでした。

 先月、読者会で青森市を訪れた時、三内丸山遺跡まで足を伸ばしました。日本最大級の縄文遺跡群です。その中に身を置いていたら自然と縄文時代の人々の暮らしに思いを巡らせていました。

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 学校で学んだ縄文時代の人々は「貝や木の実の採取やイノシシなど狩猟をして竪穴住居に住み、定住しないで暮らしていた」と記憶していますが、三内丸山遺跡には人々が集落で定住していたと思われる痕跡がいくつも見つかっています。 

 たとえば、直径1メートルもある栗の木の柱が6本、等間隔に建っていた跡がありました。そこから想像して再現された3階建てのやぐらが三内丸山遺跡のシンボルになっています。

 豆などの栽培植物や、編んだ衣類も見つかっています。土器の原料となる粘土の採取場や、壊れた土器を捨てるゴミ捨て場もありました。

 読者会には遺跡群に隣接する土地を所有している方が来られ、「ここでは1500年もの間、争った形跡がない。この土地に縄文文化を伝える『縄文大学』を作りたい」とおっしゃっていました。

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 さて、宮崎には天孫降臨の神話が伝えられています。そこには稲作の記述があるので、弥生時代と思われます。

 たとえば、「海幸彦・山幸彦」という兄弟の神話があります。2人は自分の田んぼに引く水が原因で争いをしてしまいます。弥生時代以降の人たちは何かと争い事をしていたようです。

 先週、西都市にある西都原(さいとばる)考古博物館に出かけました。入口から続く25㍍の廊下の手すりは、歴史年表になっており、1センチが10年、10センチが1世紀で刻まれています。

 「民族の20世紀」「帝国の19世紀」「庶民の18世紀」「鎖国の17世紀」などはそれぞれ10㌢で、「倭国の1世紀」までさかのぼってもわずか2メートルです。400年続いた「古墳時代」は40センチ、1000年続いた「弥生時代」は1メートルでした。

 1万数千年続いた「縄文時代」はなんと十数メートルの長さ。そんなに長い間争いがなかったと思うと、私たちの先祖は元々争いを好まなかったのかもしれません。

 私は親指と人差し指で尺取り虫のように手すりをなぞっていきました。

 2100年までのこの21世紀も尺取り虫の一回分。博物館には「未来の人はこの世紀をどのような時代と記録するのでしょう」と書かれてありました。「希望の21世紀」と書かれたいものですね。
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