くるみの談話室 2420号(2011/07/11)
福島に行ってきました
本紙代表 松田くるみ
福島県のWMC渡辺経営コンサルタント事務所の渡辺雅文さんから、「よかったら参加されませんか?」と経営セミナーのご案内を頂きました。実はこのセミナー、東日本大震災で富岡町にあった渡辺さんの自宅が津波に流されたため、中断していたのです。この度、福島市に自宅兼事務所を開き、再開されたというわけです。
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先週木曜日、そのセミナーに参加しました。参加者の多くが福島県内の経営者の方たちでしたが、震災から一歩を踏み出そうと動き出した人たちばかりで、皆さんお話をしていても前向きな言葉が多く聞かれました。渡辺さん自身、今回仕事を再開できた一つの理由として、仕事で繋がりのあった県外の仲間が、渡辺さんに講演依頼などをして、渡辺さんに積極的に仕事をくれたのです。「こんなありがたいことはありません」と満面の笑みで話されていました。
参加者の一人、鈴木充男さんが経営する共同印刷㈱には60人の社員がいました。震災で一度はバラバラになってしまいましたが、鈴木さんは毎日のようにメールで連絡を入れていたそうです。社員さんたちも、「仕事がないまま日々を過ごしているとおかしくなりそうだ」とか「お金をもらうより仕事をもらう方がずっと励みになる」と返信してくれたりして、半数の社員さんが戻って来てくれ、9月1日に会社を再開させると話していました。
会社は原発の避難地域にあるのでそこではもう営業できないため、郡山市に会社を移転しての再開です。それまではみんな無報酬で働いてくれているそうです。
ここでも今までのお客さんたちが、鈴木社長を探し出して、わざわざ仕事を発注してくれているそうです。日頃の繋がりが、こういったときに炙り出されることを教えてもらいました。
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翌日は福島市の読者、桐原恵美さんに被災地を案内してもらいました。線量計を持って相馬市に入りました。
放射線の量は場所場所で異なります。風が通るところは放射線量が低かったり、山ぎわで風が溜まるようなところは高かったりしていました。海岸には津波で流されたたくさんの車がそのまま放置され、錆びついていて、随分時間が経ったことを物語っていました。それでも少しづつですが、行き来するトラックが片付けを行い復興を進めていました。
WMCのセミナーや読者会で出会った人たちから、「福島は、長崎、広島に続いている。自分たちが今教科書に残る歴史を生きている。後世の人たちに恥ずかしくない生き方をしたい」というような声をたくさん耳にしました。
(編集部・松田くるみ)
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2420号